水より烏龍茶

日々思いついたことや考えたことを書き散らす

「ログライン」という道のりによせて

 

ファーストプロットという曲を大阪の会場で聞いたとき

『いつか筆を執らなければならない』とはっきり感じました。

 

初めて知ったときの感想が、俺より1個下なんだ。どうにも味気ない感想。

スポーツ選手でもそうだけど、自分と同年代の芸能人ってなんとなく意識してしまいます。が、年下ってのはまた違った印象を持つものでして。早く生まれたかどうかだけの話なんですけど、遺伝子レベルで刻み込まれた社会性というのは理性の判断にも影響を及ぼして、自分より若いのに頑張ってるなあとかすごいなあとかそういう感想を弾き出します。

 

初めて直接会った(目撃したが正しい)のはwhizのリリースイベント。

もともと雨宮さんのファンなので他2人に対して特別な感情は無かったんですが丁度席が前方、夏川さんと同じくらいの目線になる高さでした。当時のトラハモは夏川不憫期(それは常にかもしれないですけど…)だったため、おふざけで輪に入れてもらえないナンちゃん!みたいな自分の中で二次元のフィクションに近かったものが目の前で行われている整合性に感動したりしてたんですが、とにかく生で見た3人の中では夏川さんが一番印象に残ってて、また会いたいなと思わせる魅力に溢れてる人だなあと当時思いました。(地下アイドルっぽさがあるとか色々聞きましたが自分は地下アイドル未経験なのでイマイチわかりません…)

 

当時アイマスPだったのですが、ミリオンライブで杏奈を演じていることにはそこまで揺さぶられる要素ではなかったです。けど、とにかくTrySailという3人を追いかけていく中で3人という人数の中での夏川椎菜さんの立ち位置とか、あの2人との兼ね合いってどういうものだったんだろう、とかそういう視線で見ることの方が多かった気がします。オタクの余計なお世話ですね。

 

時をブっ飛ばしてソロ楽曲Daisy Daysの披露を目の当たりにしたり、1stシングルのグレープフルーツムーン発売など色々イベントが重なりましたがとにかくデビュー曲のグレープフルーツムーンインパクトがすごかった。

最初にソロで聞いてたのはDaisy Daysだったので、あーこういうかわいらしいお嬢さんっぽい曲で行くのかな、なんて思ってたんですが。グレープフルーツムーン単推しおじさんになってしまいました。やくしまるえつこさんのノルニルをもうちぃと明るくしたような、でもやっぱりどこかエモくて。こんな表現の引き出しがあるんだ、と驚いた覚えがあります。

 

皆さんの記憶にも新しいと思うんですが「パレイド」がリリースされた際にはファン以外の声優楽曲リスナーも震撼(していたと思う)させ、イメージや存在感を大きく広げたと思います。かくいう自分もどういう付き合い方をすればいいのかな、と腕を組んでしまう曲でした。

 

アニメを始めとした作品は基本的に目の前で起こる出来事は意図的かつ、意味のあること、文脈上のものなのでオタクは何事も文脈に乗せたがるのです。

声優ビジネスというのは二次アイドル界隈が盛り上がってきたあたりからそういう自己実現とか克己、成長ストーリーをなぞる様なある意味フィクション的な売り方が時代の流れ的に増えてきたんじゃないかと思いますが、それって本人的にはどうなのかなあとか思っちゃったりするわけです。

 

いやまあエンタメの楽しみ方なんて人それぞれなんだから勝手にすればいいじゃんってなとこなんですけどそれはそれで人間対人間でかつ、今はインターネットで簡単にコミュニケーションできちゃう時代ですし、出来る限りお互い気分よく活動してもらいたいじゃないですか。まあそういう距離感の話は宗派の問題みたいなところで厳密にどこからが正しい、とかは無いんですけど、ことこの曲についてはある程度の立ち位置を決めないとなんともしがたい曲であるなあと。

 

ブログ記事を読む限りではしれっと書いてたりするもんだから、一つの楽曲作品として見るものであってそんなに重く受け止めるものでもないのかも、と思ったり。難しいなあ。個人に思い入れがあってしまうとこういうときに迷って困ってしまう。

 

ファーストプロットというアルバムを聞いた後では、多分自分のことも含めてるのは確実だなって思えるんですがその前まではどこまで曲と本人をリアルな形で重ねていいんだろう、と思いながらなんとなく聞いては不思議な曲だ、と思っていました。

 

アルバムが出ると聞いて思ったのは、これはすごい1枚が出てくるに違いないという期待と若干の恐怖でした。

パレイドに対しての結論は自分の中では出てなかったのでこれ以上謎が増えるんだろうかと思ったり、ここからの新曲って何が出てくるんだという先の見えなさだったり、ここ最近での夏川さんのアウトプット(主には写真集「ぬけがら」のこと)は、普段のトラハモだけを見ているとこんな引き出しも!?といった驚きがあり、どんなものに仕上がるんだろうと思っていました。

  

417の日を控えながら始まったTrySailの全国ツアーですが、ソロじゃないし行ける範囲で行こう…てなモチベーションで開幕の幕張を見送り、夏川さん新曲歌ったよの情報が飛び交って「マジか、やっぱそこ回収するんだな」と思いました。いやもう分かりきってた結末なんですが。

その時のオタクの反応見る限りでは良い感じっぽい!とかトラハモ最近聞けてないしそこで披露とかされてたかなとか、まあどこかで回収できるっしょ!みたいな気持ちがありまして。期待の反面、まあ初披露を性急に求める感じでもないか、というゆるい感じで構えていました。

 

大阪2daysの初日、来るか来るかとソロコーナーで構えていたら聞きなれないイントロ、多分これだ。という確信がありました。ぶっちゃけパレイド初めて現場で聞いたときはキーが高めで歌うのキツそうとか、歌詞のとこまでしっかり聞けてなくてすごくメロディライン好きだなーくらいで済んでたんですけど、ファーストプロットについてはそういう意識が全然無くて。そもそも初見の曲はメロディに意識が行ってしまうんですが、今回は割と歌詞も耳に入ってくる感覚でなんとなく夏川さんの世界観とか表現したいものってこうだったんだろうか、って思ったりして。

一番最後の歌詞、これだけがクリアに、しつこく頭に残りました。

 

「いつか君の歌もうたえますように」

 

アルバム発売されてから周囲のオタク諸兄の察しのよさというか、やっぱそこ気付くよな~みたいな気持ちがめちゃくちゃあったんですが、僕はこれをノーガードで食らってしまって呆けちゃいました。あー、なんかこれすごいなって感想しか出てこないみたいな。

 

脱線しますが、ファンと舞台上の人間との間のコミュニケーションって、どのような形を取れば純度の高いやり取りになるんだろうと考えていました。ビジネスなのか表現なのか、元来のモチベーションなのか政治なのか、その業界でやってるわけじゃないのでなんともいえないんですが、ここ最近僕らが考えるほど政治力的な何かが発生している楽曲作品って比較的少ないのかなと、思ったりします。

というかこれって何の根拠も無い偏見を真実だと勘違いしている。社会は基本的に上手くいかないものという刷り込みが、様々な事象にも重ねてしまう、人間の無意識の罪です。皆表現者としての矜持がありつつ、そのベクトルに合ってるか合ってないかみたいな論議はあるだろうけど、作品を作り上げていくんだから、そこに政治やらなにやらは介入しずらいのでは、と思います。現実は分かりませんしどこかでは起こっているのかもしれません。

 

何が言いたいかというと、自己のここまでの「ログライン」、自己を作品と重ね合わせたという視点で見ても、完全に独立した作品上の文脈としてみてもこのアルバムは完成されているということです。というか、前者の文脈が色濃すぎて勘違いじゃないとは思うけど真意はわからない…っていうなんともいえない距離感。適切だなあと思いつつ。

ここまでパーソナルな部分を作品という形にまとめてガツンとTrySailのメンバーとしては最後にしれっと出してきたものがこんなバケモノだったのか、と思うと恐ろしい子…。

 

この前みたいに1曲ずつレビュー!なんてのは僕は夏川椎菜さんのオタクじゃないのでようやりませんが、新曲で刺さったのは「ステテクレバー」、これは往年のボカロックみたいな小気味いいテンポの歌詞とメロディーラインで最高に踊れます。最強。

夏川椎菜さんの曲って変なとこフランクな曲ってのがいくつかあって(gravity、ナイモノバカリ)、これもそれに順じた曲だと思うんですけど。普段の夏川さんを見てて「そりゃこういうこと言わないだけで思ってるよね」みたいなやけに説得力があって、しかもそれをご本人作詞で聞けて世に出てくるという現象事態が痛快そのもの、といった感じです。

 

「シマエバイイ」はフワコロと対、くらいにしか初見では思わなかったんですけどまったくそうじゃない別次元のものだと気付いて最近はリピートが止まりません。下手すればこのアルバム収録の曲では一番聴いてるまであるレベルのお気に入り。

インタビューでは一番過激とおっしゃっておられていましたが、この「過激」が示す部分ってなんだろう。と思ったときにパブリックイメージに対する反逆かな、と感じました。

 

良くも悪くもオタクは自分と思想や宗派が似ている人たちで固まりがちなので見逃してしまうんですが、夏川椎菜さんのオタクじゃない人たち、ひいてはTrySailのオタクじゃない人たちから見た夏川椎菜さんには内に秘めている「斜」だったり、サイケデリックさはまだまだ浸透していないわけです。

同じようなことがいえるんですが、一週間フレンズのイメージが強い人達にとって雨宮天さんがこのすばのアクアへ抜擢されたことが脈絡ないように見えたり、パブリックイメージに反してちょっと残念な面があったり…ということを大多数の人たちに実は知られていないということは多々あります。もちろん私が認識しているどこかの声優さんが実は…なんてことはいくらでもあるでしょうね。

まあ果たしてそこまでよく知らない声優さんの楽曲に対して曲を聴いて、歌詞を読んでパーソナルな部分を探るという作業をどこまでオタクがやるのか、みたいな話もあるんですがそこなのかなと。僕らが思っている以上にイメージと言った部分には敏感なようです。今時はリリイベの様子でさえすぐにSNSに流れてしまいますし、それに対しての釈明のタイミングもほぼ無いわけですから神経質になるのも当然かと思いますが…。

 

話が大分逸れました。

「シマエバイイ」ですが、先述したようにオタクがあけすけに距離感を詰めた上での感想を述べるとしたら今まで夏川さんが秘めてきた情感やら葛藤といったものがパレイド以上に生々しく描き出されてる曲だな、と思います。その考えに至った瞬間、この曲が剥き出しの夏川椎菜という人格なのかもしれないと感じました。もちろん数ある側面のうちのひとつ、という解釈ではあるんですが僕の今までの解釈とピッタリ合致しすぎた、の方が正しいかもしれません。

この曲の魅力に(勝手に)気付いたときから、ライブの一発目の公演である千葉を押さえてなかったのを激しく後悔しました…というのも、この曲こそ夏川椎菜さんの「斜」や過激な部分といった粗い部分が先行しているのであれば、それこそ初披露の表現を見ておかないと、横柄な言い方になりますがそれって何も知らないのと一緒じゃん!って思いまして。もっと分かりやすく言うとこの曲については歌い慣れちゃってから聞くの、二度美味しかったはずなのにもったいない!という感覚です。

 

僕は別に夏川さん単推しでもなければ、昔から夏川椎菜さんに注目してきたよ!とは大声でとても言えないんですが、今回のアルバムに関してはマーブル色のドロドロしたものを綺麗なジャケットに反して詰め込まれた気がするのでこうして文字にして書き起こしてみました。このアルバムに限らずどの作品もそれぞれの見方、受け取り方があります。これが全てじゃありません。ここまで読んでくれた人たちは百も承知の上で読み進めていただいているとは思うんですが!

 

なので皆さん、いいタイミングですのでライブに行きましょう。僕はこの踏み込んだ自己開示をライブという場でどのように昇華してくれるのか、といったことが気になりすぎてしょうがないです。初日のライブチケットまだ取れてないの本当に悔しいですし今でも探してます…。

人それぞれの好みなので強要はしないんですけど、パレイドで夏川椎菜さんに興味を持った方、今回のログラインというアルバムで夏川椎菜さんに興味を持った方、是非良いタイミングだと思うのでライブに行って欲しいです。この記事のアップがバカほど遅くなって先行とか結構終わっちゃってますけど…。そして僕の面倒くさい話に付き合ってくれるともっと嬉しいです。

 

受け取るにしても、放出するにしても感情は新たな気付きを与えてくれます。伝える為に言葉という形態を取らざるを得ませんが、その中でいかにやりくりして自分の伝えたいこと、相手が伝えたかった(であろう)ことのピントや、純度をあげていくのかということが人間が作品を摂取した際に出来る最大限の娯楽であると僕は信じてやみません。感じることも大事ですが、その感情をその場限りで置いておくのはもったいないです。是非。

 

インタビュー記事も是非ご一読を。

 

www.famitsu.com

 

natalie.mu